デザインって胡散臭いんじゃないか問題
このブログを始めるきっかけを書いてみようかな、と思います。
僕は2015年から都内の某メーカーで雇われデザイナーとして働いていて、4月から2年目になった新米社会人なんですが、ここ1年でデザインを巡るいろんな事件があったんですね……。
例えば佐野研二郎さんの一連の事件とか
国立新競技場を巡るザハさんの事件とか
その後の隈さんとザハさんのいざこざとか
僕はどういうわけか高校生くらいからデザイナーに憧れてて、そういう大学に行って、運よく希望通りメーカーでデザイナーとして働いているんですが、そんな僕にとってはデザイナーは「凄い」くて「尊敬してる」人たちだったんですね。
でもデザイナーになってみたら自分の思い描いていた「凄い」くて「尊敬される」デザイナーなんてのは日本社会にはほとんど存在していなくて、社内でも社会でも「変な人」だったり「見た目ばっかこだわって話のわからない人」といった具合にちょっと変わった人だと思われていたのがすごく意外でした。少し考えればそすぐにわかるんですが、デザイナーになりたいなりたいって高校生から思ってた僕にとってはすごく意外だったんです。
ここでタイトルの「デザインって胡散臭いんじゃないか問題」につながるわけですが、当事者のデザイナーとしては「ちょっと古い体質があったりもするけれどそれほど胡散臭いことはない」と思っています。でもそれを語るだけの説明をデザイナーができていないというのは間違いありませんし、そこは反省しないといけないんですね。
そんなことを考えていた折に(かなり前になってしまいましたが)深津貴之さんのこの記事を目にするわけです。
これは当時僕の働く部署でもちょっと話に上がりましたが上司や同僚は「こんなこと言ってもしょうがないじゃん」的な空気だったのはよく覚えています。当然だからこそ、話題になる意味がわからないけど、でもデザイナー以外の人にとっては当然じゃなかった。だから話題になったんですね、きっと。
こういったことを通して思ったのは、デザイナー同士で話してるときはわざわざ説明するまでもないようなことなのかもしれないけれど、それでも説明していかないといけないんだと思います。というか説明せざるをえないのかもしれません。
一連の事件を見ている中で、あるいは仕事で他部署の人と折衝を重ねる中で「あ、デザイナーってアホだと思われてるな」っていうシーンが多くって、エンジニアや生産管理や営業と会議しても説き伏せられてしまうという、そんなことがままあります。でもそれじゃいけないし、デザインのためにもよくないんだと思うんです。デザインそのものには好みがあっていいと思うし、それに対してどうこう言うつもりはないのだけれど、デザインの意図を伝えるのは重要なことですよね。
僕はやっぱりデザイナーは自分のデザインを説明して、みんなに理解してもらって一緒に頑張っていったほうがいいと思う。そのためにはバリッとしたレンダリング(かっちょいいデザインスケッチ)が描けたり、センスのあるカンプ(ラフな完成予想図)を作ることばかりじゃなく、筋道を立てて説明して納得してもらうということにもう少し頑張るべきだと思う、というのがこのブログを始めるきっかけでした。長くなっちゃいましたね。
とまぁそういった背景やきっかけがあったわけですが、基本的には定点観測的にデザイン周りのことなんかにコメントしたり、たまに大風呂敷広げて文脈付けたりしていきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。